
さて、PLASTICの映画コラム記念すべき第一回目です。いろいろ考えたのですが、第一回ですから映画ってモノがいつ出来たのか?その起源にまつわる有名なお話を紹介してみようと思います。まぁ最初ですから軽いジャブだと思ってくださいな。
映画の起源はいつ?という問いに文献を紐解けば必ず正確な年号が出てきます。1895年12月28日。これが映画がこの世界に産声を上げた日だとされ
ています。1995年には映画生誕100周年の記念イベントが世界各国で開かれたのも記憶に新しいところだと思います。そう、映画は高々一世紀ほどしか歴史の無い、非常に若い芸術なのです。ではこの日、いったいどこでど
ういったふうに映画は生まれたのでしょう。場所はフランスはパリ、キャプシーヌ大通りはグランカフェ。ここでフランス人、オーギュスト・リュミエール
とルイ・リュミエールの兄弟によって『列車の到着』という作品が有料公開されました。これが映画の誕生の瞬間です。もちろん映画といってもストーリー
がある訳でもなく、ただ単に列車が到着して人々が荷物片手に降りてくる様を写した記録フィルムでした。この映写装置のことをシネマトグラフといい、現
在の映写機と根本的な構造はほぼ同じ物だと思ってください。しかし動く映像を最初に実現したのは彼らではありません。実を言うとこれよりさかのぼる事
4年。1891年に皆さんもご存知の発明王、トーマス・アルバ・エジソンが連続写真を回転させて映像としてみることのできる機械、キネトスコープを完
成させているのです。では何故エジソンがキネトスコープを完成させた時を映画誕生の瞬間として歴史に刻まれていないのでしょうか?答えを拡大解釈する
と映画はエンターテイメントだということなのです。というのもエジソンの発明したキネトスコープというのは箱の中に連続したフィルムを装填し、くるくる
回る様を覗き穴から見るという仕様の機械だったのです。つまりこの映像を見れるのは一度に一人だったのです。対してリュミエール兄弟が作り出したシネ
マトグラフは同じ連続写真を回して見るものでも、それに光を当て壁に向かって投影する機械だったのです。しかもこの方式によって利潤を得る方法論にも
二者には決定的な違いがありました。先ほど言った様にリュミエール兄弟はカフェにて映像を大勢に見せお金を取るという方式を取っていたのに対し、エジ
ソンはキネトスコープ自体を器具として人に売ろうと躍起になっていたのです。つまり現代的種別で言えばリュミエール兄弟は製作配給を手がけていたのに対し
エジソンは映写機のメーカーになろうとしていたのです。映画が新たなエンターテイメントとして認識されるに至って、両者のうちどちらが映画の父として
認定されるかは非常に簡単な選択だったと思います。どうやって実現するかではなく、どうやって人を楽しませるか?ここを重点的に考えたリュミエール兄弟に
軍配が上がったのです。まぁそれでなくてもエジソンはちゃんとした商才があればもっともっと大金持ちになっていただろうと言うのが
定説になっていますしね。このエピソードを考えるとよくよく映画というのは娯楽の集大成として出現したモノだというのが良く分かります。4年遅れた出発だとしても
よりエンターテイメントとして完成されていた方を起源だと認めれる許容範囲を持つほどに。映画館に入って映写機を見る時、娯楽を追及した先人達の
偉業に少し思いを馳せて見るのも異郷かもしれません。だって、半券を手に一人ずつ覗き穴を覗く映画なんて興ざめでしょ?
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