Plasticの映画コラム
 このコーナーでは私が映画を生活の糧としている中で思った事や、考えた事などを徒然に綴っていくコーナーです。映画の内容そのもから、映画会社や劇場経営といった映画にまつわることなら何でも御座れで進めていこうと思います。ネタは思いつくだけでも数十種はあるので続けろと言われれば幾らでも行けると思います(ホントかな?)。忙しい(映画を見るのにね)合間を縫っての更新となるので滞ることもあると思いますが温かい目で見守ってください。

filem 2:インディペンデントって素敵

 あなたはインディペンデント映画ってなに?と聞かれたらなんと答えるでしょう。「単館上映の映画」と答えるでしょうか?。インディーズ映画と同じだと思っている人もけっこういるかもしれません。私はこのインディペンデント映画という言葉が好きです。インディペンデント映画が全て素晴らしいと言う訳ではないでく、この言葉のもつ意味合いが好きだという事です。世界的に通用する正確な定義は次の通り。映画というモノには製作会社と配給会社という二つの異なる役割を果たす組織が関わっています。この辺りの詳しい構造に関してはまた次回の講釈という事にして、簡単に言うと映画を作る会社と、映画館にフィルムを売り込む会社に分かれているわけです(ちょっと語弊があるかな?)。この2社はそれこそ誰もが知っている有名な所から、数人で切り盛りしている零細な所まで非常に多数存在します。特に製作会社は。そしてその誰もが知っている制作配給会社の中で特に大きな所をメジャーと呼んでいます。正確にはMPAA(アメリカ映画協会)に加入している会社の事をいうのですが、そんな事とは関係なく尊敬と畏敬とチョッピリの皮肉をこめてこれらの事を8大メジャーと呼ぶ人が多いです。ユニバーサル・ピクチャーズ、パラマウント・ピクチャーズ、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザース、ウォルト・ディズニー・カンパニー、ソニー・ピクチャーズ・エンターテインメント、MGM/UA、ドリームワークスがこれに当たります。どうです?映画にそんなに興味が無くとも聞いたことぐらいはある名前ばかりだと思います。20thというロゴがファンファーレと共にまわったり、ライオンが丸の中で吼えていたり、一度は見たことが有るでしょう。ちなみに95年に旗揚げしたドリームワークス以外は長年映画界を支えてきた長寿会社で(中には吸合併され他会社資本になった所もありますが)、非常に歴史のある会社ばかりです。こういうメジャー制作配給会社とは別に、映画の制作配給を行っている会社が世に送り出した映画をインディペンデント映画と呼びます。早い話が上の8会社以外が携わっている映画は全てインディペンデント物ということになります。ただ8大メジャーはその配下にそこそこ(失礼)有名な系列会社を置いていますのでその見極めは中々難しい。例えばコロンビアやトライスターはソニーピクチャーズ傘下だし、タッチストーンやブエナビスタはウォルト・ディズニー・カンパニーの制作や配給を担当する部署だったりします。有名なインディペンデント系配給会社としては最近伸してきたギャガ・コミュニケーションズ(+ヒューマックス)なんかが有名な所でしょう。もともとインディペンデントという言葉は「独立」という意味を持っています。つまりは莫大な費用を投じて大作を作り出す大きな流れからは外れ、独自の芸術を追求しようというのです。その意気込みがこの名前に表れていてなんとも素敵ではないですか。もちろん大作が悪いといっているわけでは御座いません。お金をかけて贅沢に作った映画はそりゃ娯楽として楽しい。それを否定する気は毛頭ないですし、私も大好き。でもやっぱり小回りがきかない所が珠に傷。失敗が出来ないですから。あくまでも挑戦者であるインディペンデント系の映画は、皆さんもご存知のように一種独特の雰囲気をもった作品が多いです。あなたの感性にばっちり有った制作配給会社を見つけることが出来ればそれはそれはとてもラッキーな事です。私なんかは全てと言う訳ではないですが、シネカノンが欧州から引張ってくる映画は結構好みだったりします。ちょっと友人にこう言ってやってみれば、「おっこいつこだわってるな・・・」って思われるかもしれません。「ハリウッドのメジャー物も好きだけど、私映画はインディペンデント物がいい。特にミラマックスはいい仕事するよね。」って。監督で映画を選ぶと言うよりよっぽど通に聞こえる事請け合い。ただ、マニアックすぎて気持ち悪いと思われても責任はもてません、あしからず。

filem 1:とりあえずは押さえておきましょう

 さて、PLASTICの映画コラム記念すべき第一回目です。いろいろ考えたのですが、第一回ですから映画ってモノがいつ出来たのか?その起源にまつわる有名なお話を紹介してみようと思います。まぁ最初ですから軽いジャブだと思ってくださいな。
 映画の起源はいつ?という問いに文献を紐解けば必ず正確な年号が出てきます。1895年12月28日。これが映画がこの世界に産声を上げた日だとされ ています。1995年には映画生誕100周年の記念イベントが世界各国で開かれたのも記憶に新しいところだと思います。そう、映画は高々一世紀ほどしか歴史の無い、非常に若い芸術なのです。ではこの日、いったいどこでど ういったふうに映画は生まれたのでしょう。場所はフランスはパリ、キャプシーヌ大通りはグランカフェ。ここでフランス人、オーギュスト・リュミエール とルイ・リュミエールの兄弟によって『列車の到着』という作品が有料公開されました。これが映画の誕生の瞬間です。もちろん映画といってもストーリー がある訳でもなく、ただ単に列車が到着して人々が荷物片手に降りてくる様を写した記録フィルムでした。この映写装置のことをシネマトグラフといい、現 在の映写機と根本的な構造はほぼ同じ物だと思ってください。しかし動く映像を最初に実現したのは彼らではありません。実を言うとこれよりさかのぼる事 4年。1891年に皆さんもご存知の発明王、トーマス・アルバ・エジソンが連続写真を回転させて映像としてみることのできる機械、キネトスコープを完 成させているのです。では何故エジソンがキネトスコープを完成させた時を映画誕生の瞬間として歴史に刻まれていないのでしょうか?答えを拡大解釈する と映画はエンターテイメントだということなのです。というのもエジソンの発明したキネトスコープというのは箱の中に連続したフィルムを装填し、くるくる 回る様を覗き穴から見るという仕様の機械だったのです。つまりこの映像を見れるのは一度に一人だったのです。対してリュミエール兄弟が作り出したシネ マトグラフは同じ連続写真を回して見るものでも、それに光を当て壁に向かって投影する機械だったのです。しかもこの方式によって利潤を得る方法論にも 二者には決定的な違いがありました。先ほど言った様にリュミエール兄弟はカフェにて映像を大勢に見せお金を取るという方式を取っていたのに対し、エジ ソンはキネトスコープ自体を器具として人に売ろうと躍起になっていたのです。つまり現代的種別で言えばリュミエール兄弟は製作配給を手がけていたのに対し エジソンは映写機のメーカーになろうとしていたのです。映画が新たなエンターテイメントとして認識されるに至って、両者のうちどちらが映画の父として 認定されるかは非常に簡単な選択だったと思います。どうやって実現するかではなく、どうやって人を楽しませるか?ここを重点的に考えたリュミエール兄弟に 軍配が上がったのです。まぁそれでなくてもエジソンはちゃんとした商才があればもっともっと大金持ちになっていただろうと言うのが 定説になっていますしね。このエピソードを考えるとよくよく映画というのは娯楽の集大成として出現したモノだというのが良く分かります。4年遅れた出発だとしても よりエンターテイメントとして完成されていた方を起源だと認めれる許容範囲を持つほどに。映画館に入って映写機を見る時、娯楽を追及した先人達の 偉業に少し思いを馳せて見るのも異郷かもしれません。だって、半券を手に一人ずつ覗き穴を覗く映画なんて興ざめでしょ?