遠隔操作が話題になっているときに登場。早く生まれすぎた名機だったのかもしれない

倉庫を借りて行われた「秘密研究所」。ここに行くのが楽しくてしょうがないという人もいた


今ならCGで容易に実現できるゲームだが、その迫力ある映像はCGでは及ばないともいわれる
プロローグ
1987年6月、フジテレビ主催のイベント「夢工場」で、セガスーパーサーキットの原型なるものが多くの賞賛を浴びていた。しかし、その後、様々な問題が持ち上がり、関東近辺の3ヵ所の大型ゲームセンターに設置されるもそれ以上の広がりを見せなかった。幻となったセガスーパーサーキットだが、そこには究極の体感ゲームの開発に燃えた男たちがいた…。
体感ゲームの新しいスタイルを見つけよ
「ハングオン」「アウトライン」など体感ゲームに人気が集まっていた80年代後半。セガではさらなる新しい体感ゲームを作ろうという動きが生まれた。当時は現在のような高度なCGの技術はなく、その時できうるアイデアを出し合い、まさしく部署一丸となってゲーム開発に向かったのだった。
全長80mのサーキットをラジコンカーが走り回る
こうして生まれたのが、縦15m、横30mのエリア内に、全長80m、幅1.5mのコースをはりめぐらせ、6台のラジコンカーを走らせるというゲーム。ラジコンカーには、それぞれビデオカメラが搭載され、走っている最中の映像をUHFの電波で飛ばし、それをプレーヤーが座っているコックピットのモニターに映し出すという仕組みだ。本格的なハンドルやアクセルがついたコックピットでプレーヤーが運転すれば、離れた場所を走るラジコンカーがその通りに動くため、まるで自分がそのラジコンカーに乗って、サーキット上に作られた未来都市を走っている感覚になった。
倉庫を借りての秘密研究所!?
あまりの大きさのため社内での製作はできず、近くの倉庫を借りて開発を続けることに。広い倉庫の床に簡単なガードレールだけつけて、オーバルコースで実験を開始した。ここで問題が浮上した。コックピットのモニターに送られてくる映像がかなりひどいのだ。ラジコンは動き回るは、ぶつかるはでさらに映像は悪化。ラジコンカーに問題があるのか、アンテナの位置が悪いのか、結局、受信アンテナをコースの一番条件のいい4ヵ所に立て、ダイバーシティーで受信することに。これでかなりよくなったが、最後まで電気設計の担当者はクリアな映像にするために努力は続いた。
さらに難関は続く
さらに問題が現れた。ラジコンカー本体のことだった。カメラや映像の送信機を積むためかなりの大きさと重量になり、市販の部品は使えず、ボディーからオリジナルで作ることになった。その上、ラジコンカー同士がガンガンぶつかるため、破損も多かった。毎日毎日、ラジコンを操作しては調整の繰り返し。そしてロケテストは目の前に迫っていた。
プロジェクトの生存を賭けたロケテスト
こうして開発スタートから7ヵ月後、ロケテストの場として選ばれたのが、静岡・浜松市の郊外型ゲームセンター「ジョイスクエアーイン浜松」だった。チームのメンバーは浜松に1ヵ月以上泊り込み、設置と試運転を行った。テスト前には、これまでの問題を解決し、リアルな映像をコックピットで体感できるようになっていた。それはゲームの最中、他のラジコンカーとぶつかる時、恐怖を覚えるほどの映像に…。
続いて、「横浜博」へ出展。ごったがえす来場者のなかで、ついには4時間待ちの行列ができていた。プロジェクトのスタッフは、「セガスーパーサーキット」の成功を確信したのだった。
ネクストチャンスを約束
人気を博したセガスーパーサーキットだったが、ビジネスとしてクリアできないことも出てきた。場所をとり、人件費がかかる。使っている電波の周波数帯は許可が必要などなど…。その後、大型ゲームセンターに設置されるも、いつしかフェイドアウトしていった。
「今なら」とスタッフのひとり土手は考える。映像送信の技術の向上、車の小型化、設置面積の縮小化、自動制御の技術など、成功する条件は揃っている。確かに10数年前では時期尚早だった。しかし、開発に携わったスタッフはその悔しさをバネに「もう一度チャレンジしたい」という熱い気持ちを抱いたのであった…。