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プロローグ
放たれたゲートから一斉に駆け出した馬は、前後左右に入り乱れ、コーナーでインコースにかたまり、直線に入ったとき一気にスピードを上げ抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げる。・・・1988年春、本物の競馬さながらの動きをみせる『セガ・ワールドダービー』の完成品を目の前にして、私たち開発スタッフはひとつの核心を胸に抱いていた。
これは、必ずヒット商品になる!
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たった一言から始まった、世界初への挑戦
「馬が走るフィールドを、フリートラックにできないだろうか?そうすればレールの上をただ走るだけの今の競馬ゲームに奥行きがでると思うんだ」。開発トップの言葉に、私たちスタッフは一瞬黙り込んだ。それは誰もが思っていたことだったが、ゲーム開発者だからこそ、数頭の馬を自由自在に走らせることの難しさが分かり、誰も手を出さずにいたのだ。世界中を見たって例のないことだった〈無理だ。難しすぎる〉。が、ひとりの技術者が沈黙をやぶってこたえた。「やりましょう!できないことはないでしょう」。
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難問が山積みだった制作スタートからの1年半
彼はたったひとりでベニヤ板を切り抜いてコースをつくり、研究を始めた。また他のスタッフは毎日競馬場へ通い、馬の動きを研究してフィールド上の機構を考えた。一見スムーズに進むかに見えたプロジェクトだったが、それは想像以上に難しく、問題が山積みのまま1年半が流れた。
それでもようやくプロジェクトに光が見えてきたときは誰もがホッとした。しかし、実はまだひとつだけ、技術的に解決できていない大きな問題があった。
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ようやく見えてきたフリートラックシステム
コース上には小さなタイヤのついた馬が6頭、タイヤからのクランク機構で上の馬はあたかも走ってるような動きを見せる。この馬自体には電源もモーターもなく実はコースの下にフリートラックの技術が隠されていた。コースの下にはそれぞれの馬の下に小型のラジコンカーのようなキャリアがあり、コース上の馬と強力な磁石で繋がっている。そのキャリアが6台それぞれコンピューター制御で自由自在に動くのだ。
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どうしても解決できなかった問題
問題はいっぱいあった。中でも大きな課題は3つ。まず自由自在に走るキャリア(ラジコンカー)に常に電源を供給する方法。次に各キャリアの正確な位置と向いている方向をリアルタイムに知る手段。そして最後に位置情報を元にリアルタイムに馬を制御するプログラム。最後まで頭を悩ませたのが制御プログラム。CG映像の馬をコントロールするのと違い、実際にキャリアの摩擦抵抗、モーターの負荷、通信のタイムラグなど、不確定なハードの要素が絡み、それが6台同時制御となるととてつもなく複雑なものとなった。
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世界が注目するアミューズメントマシンショー
前日の急場しのぎ
難問を抱えたまま、1987年10月のアミューズメントマシンショーがせまっていた。私たちはここでワールドダービーを初披露する予定でいたが、こんな状態ではとても出せない。
「今回の出品は見送ろう」ひとりのスタッフの言葉に、「今さら引っ込みがつくわけないだろう!もうショーは2日後なんだ!」あせりと苛立ちに震える声がこたえた。セガがフリートラックの競馬ゲームを出すという噂は、既に業界中に広まっていたのだ。秋の始めの、ほんの少し冷気を含んだ空気が重くのしかかった。この時点で制御プログラムはまだ未完成で、6頭の馬がコーナーに差し掛かるとお互い接触し転倒していた。結局、急場しのぎにとった方法とは、見えない下部コースのコーナーにしきり板を立て、キャリアが干渉しないようにしてなんとかごまかす事にしたのだ〈これでショーの2日間はもつだろう。だけど俺たちは観客をだますことになるんだな〉。
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経験から得たもの
ショーから半年後、私たちは全ての問題をクリアにし、それまで誰も実現させることができなかったフリートラックの競馬ゲームを完成させた。複雑な技術を集結して作られたこのゲームは、他のどのメーカーにも真似できないものとなった。〈これこそ技術者冥利につきるってもんじゃないか〉。開発トップは思った。〈誰も考えつかないことを考える発想力も大事だ。でも今回のケースのように、誰もやらなかったことを実現させる『技術力』がとてつもない商品を生み出すこともあるんだ〉。
開発スタートから2年半、セガはその後十数年経った現在でも人気の衰えない、メダルゲームの王様をつくることに成功したのだ。
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