現在、リリースされているものがこちら。サウンドはJ−POPを中心に、懐メロ、アニメソングも含んだ全24曲入っている

清水が作った試作品のひとつ。ビスも剥き出しのまま



池袋GIGOで行われた大会の模様。3人と人数を増やしてタンバリンを叩くプレイや肩車をして叩くプレイなど、ファンによって次々と開発されていった

プロローグ
ゲームの直接の生み親といえば開発者だろう。しかし、一旦、リリースされてから、ユーザーやファンによって、開発者も思わぬ発展と変化を遂げるゲームがある。これは、そんな幸福なゲームとそれを開発した男の物語である……。
ファンが企画するゲーム大会が開催
2001年6月、「シャカっとタンバリン!」の大会が池袋GIGOで開催されていた。参加者はコスチュームに凝り、オリジナルのステップを踏んで、得点を競い合った。それも上級者だけでなく、誰でも楽しみながら自分なりのスタイルでタンバリンを叩いていた…。それならよくある人気ゲームのデモンストレーションだったが、ただ違っていたのが、このイベントが「シャカっとタンバリン!」のファンが自主的に企画したものだったのだ。 このとき審査員として招待されていた清水は感慨深げだった。自分の手から離れたゲームがこんなにファンに支持され、思いもしなかった新しい楽しみ方を与えていたとは。清水はこのプロジェクトのスタートを思い出していた……。
「サンバ・デ・アミーゴ」に続くものを
当時、清水はくさっていた。開発が進んでいたプロジェクトがペンディングとなったからだ。そんな清水を見かねて、かつての上司土手が声をかけた。「『サンバ・デ・アミーゴ』に続くサウンドゲームをつくろう」と。1999年秋のことだった。 「サンバ・デ・アミーゴ」は、曲に合わせて、決められた位置でマラカスを鳴らし得点をゲットするゲーム。ラテンの音楽に合わせて、ユーザーたちはマラカスを鳴らし、得点を競い合った。 ……「サンバ・デ・アミーゴ」のマラカスに変わるもの、誰にでも簡単にできて楽しめるサウンドゲームは?……こうして思いついたのが、タンバリンだった。
みんなが楽しめるものを
タンバリンは音を出すのに、振る、叩くの二種類がある。そして、踊る、演奏するという二通りの役目がある。最初はバンデーロ奏者にも意見を聞いたり、各種タンバリンを触って試してみた。そして、清水はモンキータンバリンにコントローラーやセンサーをつけ、叩くという動作がわかりやすいように叩く場所をボタンとして、試作品を作った。 どう叩くと、どう振るとマシンが反応し、得点としてカウントされるのか。試作品に は小型機械を取り付けたため、ビスなどがむき出しで、注意していてもタンバリンを 使うたびに引っかかり、いつしか清水の手は傷だらけになり、気が付くと血が出てい たことも1度や2度ではなかった。 そして、運動神経やリズム感のあるなしにかかわらず、ユーザーに遊んでもらうために、次は曲目をセレクトし、叩き方、振り方のバリエーションを思い付くだけ考えた。その後、初級、中級、上級、裏ステージとランクを設定、誰でも楽しめる仕掛けを作っていった。
ユーザーが新しい楽しみ方を発見!
2000年11月、「シャカっとタンバリン!」はついにリリースされた。ひとりでもふたりでも楽しめることができ、曲のレパートリーも最新から懐かしい曲までを揃えた。 ある日、清水は意外な光景を目にした。アミューズメントパークに置かれた「シャカっとタンバリン!」で遊ぶ人が、清水が想像だにしない動きをしながらタンバリンを叩いていたのだ。確かにタンバリンは手で叩くため、上半身の動きが主となる。ユーザーたちは下半身、あるいは全身を自由に動かしながらタンバリンを叩き、オリジナルのダンスを作り出していたのだった!
ユーザーと開発者をつなぐ絆
ファンによる「シャカっとタンバリン!」第一回大会が終わって、2ヵ月後、2001年8月、今度はセガが主催するゲーム大会が開催された。東京・池袋にあるアミューズメントパークが会場だったが、参加者は九州や四国、果てはなんと香港から来た人もいた。「シャカっとタンバリン!」の輪は確実に広がり、自分が開発したゲームが見知らぬ人と人をつなぐことも実感した。開発者として至福の時であった。 会の最後に参加者から清水にプレゼントが渡された。それは参加者全員が寄せ書きをしたタンバリンだった。「このゲームを開発してよかった」、清水は感激せずにはいられなかった。それは清水の宝物となり、今も清水のデスクに飾られている…。