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プロローグ
セガのメダルゲームを語る時、絶対に外せないジャンルに、競馬ゲームがある。ミニチュアの馬がフィールド上を走るタイプで、かれこれ20年も前からある超ロングラン・ゲームだ。そんな人気ゲームに、究極の臨場感と新たなゲーム展開を求め挑戦した開発チームがあった。この話は、そんな新世代競馬ゲーム誕生までを追ったプロジェクト秘話である。
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絶対に、売れない
「映像の競馬ゲームで過去にヒットしたゲームがあるのか?」
AM6研(現メカトロ研)開発スタッフ・佐藤が出した企画を、開発トップは一蹴した。佐藤は従来のミニチュアをあえてなくし、映像だけの競馬メダルゲームを開発しようと提案したのだ。しかし上司の反応は冷めたものだった。確かに、それまでの映像技術と単調なゲーム展開ではそう言われてもしかたがなかった。それでも佐藤は食い下がった。
「四白流星までを再現した実名馬、本物の競馬場、本物のレース展開、これらはミニチュアがあると実現は不可能です。過去の映像競馬メダルゲームにヒット作がないのはそこまで体現できたゲームがなかったからです。今ならばCGがあります。CGならばミニチュアでは絶対に無理な障害レースだって実現できます。とにかく、今までの競馬ゲームよりずっと奥行きがあって、競馬ファンまで夢中にさせるゲームにするにはミニチュアは邪魔なんです」
佐藤の頭の中では、すでにプロジェクトは動き始めていた。本物の競馬場、本物のファンファーレ、入場曲。そして、馬も騎手も本物を登場させる。その中で、自分で名づけて育てた自分だけの馬が、他人の馬と競い合う。ハズす理由がどこにある?
しかし、GOサインが出ない事にはプロジェクトは動き出さない。佐藤は二人のCGデザイナーと一人のプログラマーとともに、丸一ヶ月かけてプレゼンビデオを完成させた。
そして社長プレゼン。ビデオを見た社長が静かに言った。
「競馬はセガの財産だから、作り続けなければならないね」。
プロジェクトチーム編成が決定した瞬間だった。
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馬に触れ、馬を知る
開発スタッフは、これを単なるベット(賭け)だけのゲームにするつもりはなかった。自分の愛馬を育てるという、馬主の醍醐味を味わえる要素も含ませようと考えていたからだ。それならばもっと馬のことを知らなければならない。ということでスタッフは、開発トップに乗馬学校への入校を希望した。開発トップは、(競馬ゲームと乗馬学校…何の関係が?)と思わないでもなかったが、もとよりこの企画はスタッフの熱意に押されて始まったものだ。今さらもう何も言うことはない、とOKを出した。
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JRAから海外レースまで、取材に次ぐ取材の日々
馬と騎手を事細かに観察する一方で、その他の取材も着々と進めていた。JRAの競馬場を忠実に再現するため、東京・中山・京都・阪神・中京の競馬場すべてをまわり、一般の人は立ち入り禁止となっているトラックの内部や監視棟の上までも取材させてもらった。すべてのスタッフが、細部にいたるまで、決して妥協を許さなかった。
乗馬学校、競馬場の取材は、『スターホース』と時を同じくして開発がスタートしたAM3研(現ヒットメーカー)の『ダービーオーナーズクラブ』チームと共同で行えるというラッキーがあった。
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最高の実況中継を
競馬に実況中継はなくてはならない。マストだ。しかし、究極の競馬メダルゲームを完成させるために実況を担当してもらうアナウンサーは一人しかいなかった。そう、競馬ファンなら誰もがその名を知る、名実ともに日本一の杉本アナだ。
「今までに誰も見たことも聞いたこともないような究極の競馬メダルゲームを作りたいんです」。そんなコンセプトに快く協力をOKしてくれた杉本アナ。一日の録音時間は5時間を越える日もあり、録音作業は述べ8日間にも及んだ。
佐藤が一番印象に残っているのが、録音終了時の杉本アナの一言。「今週末GIの実況があるから、いい発声練習になりましたよ」。5時間の録音に疲れていないはずはないのに、この発言である。その他、データのない障害レースの実況を即興でしてもらったり、様々なアドバイスをもらうなど杉本アナに協力を承諾してもらった幸運もこのゲームにはあった。
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まだやる事はある
CG開発は順調に進んでいた。実況もOK。馬名、騎手名、楽曲、その他の交渉も紆余曲折はあったが、なんとかうまくいっていた。しかしやる事は尽きなかった。競馬の予想にかかせない競馬新聞。これも全て本物を使おうと考えていたのだ。競馬専門誌7社が所属する関東競馬新聞協会。全社長が一同に揃う会議の場に佐藤はいた。
「関東競馬新聞協会全誌の予想をこのゲームでシミュレートさせて下さい。ゲームセンターには若者が集まります。全てが本物のこのゲームで競馬を覚えてくれた若いプレイヤーは、近い将来きっと競馬場に行くでしょう。そうなれば彼らは必ず専門誌を買います。どうぞこのゲームで専門誌の宣伝をして下さい」。
その後スタッフが全社を回り、過去の予想傾向をシミュレートする事に成功した。
そして2000年7月…すべてにこだわり抜いた映像競馬ゲーム『スターホース』は完成した。
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旅立ちのとき
「今年もあなたの、そして私の夢が走っています!」
高らかなファンファーレとともに、おなじみ杉本清アナウンサーの実況中継が響き渡る。ロケテストの現場で、『スターホース』は3〜4時間待ちの行列をつくっていた。プレイヤーたちは無我夢中で愛馬を応援し、レースに見入っている。(やっぱり映像に挑戦したのは間違いじゃなかった!プレイヤーが求めるゲーム展開、ゾクゾクするほどの臨場感、これはすべて映像だからこそできたことだ)。
自らの手で育てたかわいい娘(?)が羽ばたいて行く、その後ろ姿を見ながら、開発チームの面々は感無量の思いでいた。 (がんばれよ…)
そんな親の期待に反することなく『スターホース』はプレイヤーから愛され続け、発売から3年余り経った今でもまだ長い行列をつくっている。
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