大須賀の手元に残る、「お祈り大明神」の初期スケッチの数々。

日光東照宮へ出かけたときのスナップ写真。資料用に写真をたくさん撮った。


狛犬のいろいろ。こうして見るとさまざまな狛犬がいることが分かる。


ユーモラスな姿をしたブルーの風神雷神像。セガらしい工夫がデザインに見える。


一言ではっぴといってもさまざまな文様が。これらの文様もデザインするときの参考になった。

プロローグ
スズヒモを振り、最大20人が競い合うお祈り大明神は、2002年2月に東京ビックサイトで開催されたAOUショーで発表された。神社のさい銭箱を思わせる仕掛けに、提灯、風神雷神像と和風のテイストが満載のゲームは、同業者はもちろん来場者からの注目を引いた。この、業界初の“和”をモチーフにしたゲームをデザインしたメンバーは、なんと平均年齢29歳の男たちだった。
ヒントはビートたけしのTV番組にあった
2000年秋、ヤッターマンをモチーフにしたメダル・ゲーム機のヒットを受けて、次もキャラクター性を持ったゲームを作ろうとプロジェクトが始まった。どんなキャラクターにするのか、筐体デザイナーの大須賀らは考えに考えた。「同じアニメのキャラクターだったら、飽きられてしまう。どうしたら…」。そんなある日、大須賀がテレビを見ていると、ビートたけしらが出演し、世界でブームになっている日本文化を紹介している番組を放映していた。折しも外は夏祭りのシーズン。「和風テイスト…。これはいけるかもしれない」。大須賀はひとりほくそ笑んだ。
浅草に、日光に、大人の遠足が始まった
筐体デザインのテーマをどうするか、大須賀たちの模索が始まった。企画チームから伝えられたゲームの特徴には、最大20人という大人数でプレイできることがあった。「大勢で盛り上がることができる。それは祭りじゃないか!」。大須賀は浅草・浅草寺と参道の仲見世通りを思い出した。すぐにデザインチームは浅草に出かけ、撮影やスケッチを繰り返した。雷門の提灯の大きさに見とれ、脇に立つ風神雷神像のリアルさに驚いた。次は日光まで足を伸ばした。日本を代表する霊廟建築で知られる日光東照宮では、荘厳な雰囲気を持つ陽明門の凝った意匠に圧倒された。デザインのヒントを求めて東奔西走する毎日が続いた。しかし、いわゆる観光地への出張は、同僚と出かけることもあり、ワイワイガヤガヤ。まるで「大人の遠足でしたよ」と大須賀は、当時を振り返る。
日本を再認識―ディスカバージャパンの日々
大須賀はさらに横浜にあるラーメン博物館へ、昭和の建築を見に行ったりした。また、メダルの払い出し部分をこま犬にしたため、都内の神社を回ってこま犬の写真を撮り続けた。「一言でこま犬っていっても、口を開いているものもあれば、玉を脚で押させているものもあって、バラエティに富んでいるんですよ」と大須賀。知らず知らずにこま犬に興味を持ち、知識も豊富になっていった。
遂に、業界初の和風ゲーム機が誕生!
こうしてショーを前にしてテスト機ができ上がった。メダルが収められているのが中央の大提灯。少々キュートな雷神風神がその脇を固め、こま犬がメダルを払い出す。プレイヤーのイスも縁台のような木製の月見イスを用意。当初はざぶとんもつける予定だった。頭上にはのれんを付け、壁の文様も日本古来の意匠を採用した。しかし、ただ和風にしただけでなく、さまざまな和のモチーフを持ち寄ったことで、誰もが目を留める、まさにニュー和風テイストのゲーム機ができ上がった。「本来ならば宮大工さんから話を聞くとかすべきだったんでしょうが、それに捕らわれない、誰もが楽しめる和テイストのゲームを作りかった」と大須賀。それは彼らのセンスと意地であり、つまりは"セガ"らしさであった。
気がつけば、自分も和のトリコに
いくつもの神社仏閣を回り、世界文化遺産に指定された楼門を見学し、祭りのにぎわいに触れた大須賀。先人が残した素晴らしい財産に感動したのは一度や二度ではなかった。いつしか大須賀は和の世界に公私ともどっぷり漬かっていった。「忙しい毎日をおくるなかで、和のテイストに触れると、のんびりまったりできる。このお祈り大明神のヒットもみんなが“和”を求めていたからだと思います」。出張先ではっぴを買い求め、今ではゆかたを着て寝るようになったという大須賀。ひとつのゲームを作る過程で、大須賀は日本のよさを再認識したのだった。